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自分の性格について

 二回目にしてもはや書くことがなくなってしまった。これはまずい。私は、その気質としては、三日坊主である。今まで様々なものを続けようとしてきたが、何一つとして続いたものはない。筋トレは一週間くらいで、英語の勉強は本当に3日くらいでやめてしまった。そのうちまた何かのきっかけで始めることになるのだが、それもまた結局終わるのである。

 なぜ自分がこうも飽きっぽいのかを考えてみる。

 まず初めに、その趣味を、今後の自分の人生に役立つものにしようとしてしまうからということだろう。上に挙げたものでいうならば、筋トレは自分の体を鍛えることで健康の維持や地震の見た目が良くなることで社会的位置取りをとろうとする、簡単に言えばモテようとするからである。英語の勉強なんかはまさしくその通りで、将来役に立つと思ってやろうとしていることに問題がある。

 次に考えられるのは、受動的でインドアな体質である。今までの自分の人生を振り返ってみると、親から勉強をしろとか、学校ではこうしなければならないとかいったような「上」から与えられたものを「消費」する生活であった。そこには積極性は見られず、受動的である。こうした「消費」に疲れてしまい、外に出るのがおっくうになるのである。それに、外は常に自由で、与えられるものはなにもない。与えられるものがないと「消費」ができず困ってしまい、つまり暇になり、また疲れてくるのである。よってインドアな体質になるのである。

 飽き性な人間の多くは上述した理由にあてはまるのではないかと私は推測している。誰かが頭の中で考え出したものというのはよっぽどのことがない限りほかの誰かも考えていることであり、結局思いついた考えというのは一般的であったりするからである。私は、自分自身のことをゆとり世代が生み出した平々凡々な無個性人間であると考えているので、前提条件が正しければ、飽き性な人間は上述した性格に当てはまるのである。