ketocotoのブログ

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ブログを更新しました

 めちゃくちゃ久しぶりに更新、文体の一致とかは気にしないスタイル。

 

 書きたい気持ちはあったんですけど、何かと忙しくてかけなかったり、PCを開くのがめんどくさくて更新しなかったです。何もかもが終わってはいませんが、年末に入り多少時間ができたので更新してみようと思いました。あとは、最近noteとかを名前も顔も知っているような友達がやり始めて文字を打ち込みたい欲が増したって感じです。

  でも別に書くことはないです。今日はクリスマスですが、かと言ってこれといった用事もありません。クリスマスの思い出も特にありません。クリスマスに誰かと過ごしたのって四年くらい前が最後だと思います。三回クリスマスって言ったんでクリスマスについて書いてみようかな。

 

 クリスマスに対する態度は、特に興味なしです。街はクリスマスに染まり、各種メディアではクリスマスソング特集が組まれるなどして国民に対して否が応でもクリスマスを意識させますが、そのような圧力には屈せず、屈しないというよりかは受け流すというスタンスをとっています。

 そうなると、クリスマスらしいことは何もしないということになりますが、実家住まいの私は、そのムードに浮かれ切った家族に付き合う形で、チキンやケーキを食べ、スピーカから流れるクリスマスソングを聞くなどをすることになります。もし一人暮らしをしていたなら、本当に何もせず過ごすのだと思います。

 というか、日本に限った話じゃないかもしれないですけど、日本発祥ではない日本で行われる季節のイベントって、本当に皆望んでいるものなんですか?クリスマスもキリスト教由来のイベントを日本に取り込んでクリスマス商戦なんかをしているわけですが、誰も何も言わなくなったらクリスマス(というイベント)は消滅して12月は徐々に年が更けていくのことになるんですかね。

 ハロウィンもそうで、というよりかは少し前まではそうだったんですけど、もしイベントがなくなったらただの月末ですよね。ハロウィンがあるから仮装したりトラックを押し倒したりするわけで。

 バレンタイン、ホワイトデーもそうですよね。自分の恋心、気持ちを伝えたいが勇気が出なくてきっかけがほしい、って人にはもってこいですが、形骸化しているところも多く見られます。

 

 イベントだけではなく、そもそも望んだものとは大きくかけ離れているものって結構多いように思います。運動会を例として挙げると、wikipediaというソースが弱いものによると、「日本における運動会の発足は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として」いるようです。健康を増進させるならば運動させるべきで、それなら行事として催して強制参加させれば強制的に運動して強制的に健康になるだろう、というような感じで始まったぽいです。

 今の運動会への参加の態度を見ると、体感ベースですが、徒競走で一番になりたいとか、応援を楽しみたいとか、公衆の面前で恥をかくのは勘弁だからどの種目にも出たくないとか、うちの子どもが熱中症になったり日焼けしたりすると困るから外に何時間も放置させたくないとか、運動会は朝早くから始まるからお弁当を作るのが大変だとか、そんな感じです。各々が注目するポイントは変わり、もともとあった健康増進という目的に対して焦点があまり当たらなくなているように思えます。

 そして、その参加への態度というのは、当たり前かもしれませんが、運動会あっての態度であり、運動会がなければこのような考え方というのは生まれません。つまり、運動会が先にあってそこにどうアプローチするかというものになっていて、運動不足解消のような健康増進を目的としてどう行動するかはあまり考えられていないように思います。

 ここで長くなった話が戻ってきて、健康増進したいから運動会をやろうという人はあまりいないということです。そして、仮装がしたいからハロウィンをやってくれって人も、告白がしたいからバレンタインよ来てくれって人も、プレゼントを贈ったり恋人といちゃつきたいからクリスマスを開催してくれって人もいないと私は思うわけです。なぜなら、仮装がしたい人は勝手に仮装するし、告白したい人は勝手に告白するし、恋人たちは何を言わなくても勝手にいちゃつくしプレゼントを贈るからです。月並みな言い方をすれば、私たちは商業戦略として勝手に作り出されたムードに半ば強制的に乗っかりそのイベントをこなしてるわけです。たとえ商業戦略がなくても、我々はイベントを待ち望み、そして誰かが勝手にイベントを開催するようになるのでしょうか。

 

こういったどうでもいいことを話そうとすると離れていくわけですが、こういうこと話したい人っていないいんですかね?クリスマスからも結局かけ離れました。