ketocotoのブログ

ketocotoのブログです

疲れた〜

就職活動真っ最中である。

 

全国のたくさんの企業からは「お前は誰だ。400字以内でご回答ください。」というようなご質問をよくいただいている。だから毎日自分が何者かを考えさせられる。自分が何をしたくて、どうなりたくて、それはどのような経験からで、どのような困難を乗り越え、何に力を入れてきたかを毎日考えている。

 

はっきり言って、自分が何者かなんてよくわからない。人並みに勉強して、人並みに大学に入り、人並みの生活を送っていると考えている。何も立派なことはしていない。自分のセールスポイントなんてない。日本のどこかを探せばほとんど自分と同じような性質、能力を持った人がいると思う。そこに差別化なんてされない。しかし、自分は他の人とは違うということをアピールしなくてはならない。

 

誰しも他人とは違う自分固有の特別な人生を送ろうとする。海外に留学してみたり、サークルを立ち上げたり、なんなら起業してみたりもする。確かにそれは特異な経験になるかもしれない。だが、一歩引いて考えてみた時、必ず先行されているはずである。そしてその内容も必ずどこか似通ったものになる。細かい部分で見れば違うのかもしれないが、その人にとっては重要であっても、他人からしたら違いなんてわからないのである。

 

そう考えれば、私の強みというのは無個性であることなのかもしれない。世界で最も競技人口が多いサッカーが好き、日本人なら誰しも一度は読んだことがあるような漫画が好き。誰しもがそれなりの努力をすれば入れるような大学に通い、成績は平均よりは少し下。そこそこに音楽も聞くし、そこそこに本だって読む。恥をかかないくらいの服を着て、恥をかかないくらいの髪型で、恥をかかないように外を出歩く。無個性が故にどこに行っても当てはまるし、どこに行っても可もなく不可もないような人生を送るだろう。

 

自分は努力不足なのかもしれない。しかし、努力することが嫌いというわけではない。努力してでも獲得したいようなスキル、経験がいまいち思い浮かばない。端的に言えば、努力する先が見つからないのだ。よく、最近の若者は夢がないとかいわれる(これは現代に限らずいつの時代も言われてきたものだと思うが)。夢は公務員、普通に過ごして週末は趣味のことをしたいです、という人が増えたらしい。こういうときよく聞く意見としては、日本はここ20年くらい不景気で、夢を叶えるだけの土台ができていないから若者も夢がなくなるのだというものがある。将来への不安から現実的な思考になるというものだ。だが私が思うに、その理由もあるが、夢になるほど魅力的な職業等がないということのほうが事実に即しているのではないだろうか。

 

 

長く、だらだらとしたもの

 気持ちがむしゃくしゃしてきたからブログを更新することにした。

 今は就職活動の真っ最中で貴意に添えかねたりお祈りされたりしている真っ最中です。前から噂には聞いていたんですが、本当に人格を否定されたような気分になるんですね。

 人並みにツイッターやインスタグラムのアカウントを持っているが、投稿数が多いと他の人に迷惑がかかるのではないか、自分の投稿なんか見たい人がいるのか、投稿した内容に対して不快に思ったりする人がいるのではないかと考えすぎるあまり何も投稿できない、どんな投稿に対してもいいね!を押すことができないなど自分の人間性が見て取れるようなSNSの使い方をしている。

 つまり、自分は他人に対して公共の場であっても仮想現実上であっても他人に対して迷惑を欠けたくないと思っているということだ。その裏返しで、人に迷惑かけないなら何をしてもいいという考えから、あるアカウントの過去の投稿を遡れるだけ遡ってその人のSNS上にある情報のほとんどを入手するという行為を複数回行なっている。いわばネットストーキングのようなものだ。自分だけがしているものなのかなと思っていたが、他人の目をとても気にする私の友人もしていたのでどうやら固有の行為であるというわけではないというのは把握している。

 話が少し逸れた。

 こうして危険性をはらみながらも、他人には迷惑をかけまいとしている私とは正反対に、他人に迷惑をかけようが、結局自分の人生が幸せならばそれでいいという生き方をする人もいる。

 私は、この生き方が心底羨ましい。他人の目なんて気にせず自分がよければそれでいいのだから、厚顔無恥など気にせずに適当なことを喋って、適当な異性と自分の欲望のままに付き合い、自分の意見を通せさえすれば後はどうなっても良いというような意見の出し方をする。少し方向性は違うが、一生会うことはないのだからと通行人の容姿や行動を大きな声でバカにしたり、悪口を言ったりする。

社会にでたこともロクにない私がいうのもなんだが(ここにも他人の気を損ないたくないという自分が現れている)、思うに私たちが生む社会は数々の合意形成のもとで成り立っている。国家と国民の間では、税金を払う代わりに公共サービスを提供する。コンビニと客との間では、金銭を受け渡す代わりに商品を提供する。金銭に限らず、親は子を育て、子はその分将来的にその恩を親に還元する、授業Aのノートを見せてもらう代わりに授業Bのノートを見せてやる、といった具合だ。

 公共の福祉に関する議論は様々な憲法学者や法学者、その他数々の専門家が議論をしているが、私なりの解釈で言えばこうして合意形成の集まる社会においてそれに背くような行為を許さない、というのが公共の福祉に反するということではないかと考えている。それが過去様々な宗教でも教義にもあるよう「他人に迷惑をかけない」の一種ではないかと私は思う。そして私はそれに賛成である。

 私と正反対の生き方をしている人の考えを何度か推考したことがある。だがはっきりとは分からない。例えば、それだけ制約をかけられているのだから、その分どこかで自由を欲して、ある部分ではほとんどアウトだけれども当人としてはセーフだと考えて結果として他人に迷惑をかける行為をしてしまうのだろうかと考えた。しかし当然だが、これは自分が持たない感覚であるからはっきりとは分からない。

 現実世界でも仮想現実でさえも迷惑をかけまいと健気に頑張っている就活中の大学生です。そのような人材を求めている方はご一報ください。生きていけるだけの収入と生活さえ保障していただければ馬車馬のように働きますので。

ブログを更新しました

 めちゃくちゃ久しぶりに更新、文体の一致とかは気にしないスタイル。

 

 書きたい気持ちはあったんですけど、何かと忙しくてかけなかったり、PCを開くのがめんどくさくて更新しなかったです。何もかもが終わってはいませんが、年末に入り多少時間ができたので更新してみようと思いました。あとは、最近noteとかを名前も顔も知っているような友達がやり始めて文字を打ち込みたい欲が増したって感じです。

  でも別に書くことはないです。今日はクリスマスですが、かと言ってこれといった用事もありません。クリスマスの思い出も特にありません。クリスマスに誰かと過ごしたのって四年くらい前が最後だと思います。三回クリスマスって言ったんでクリスマスについて書いてみようかな。

 

 クリスマスに対する態度は、特に興味なしです。街はクリスマスに染まり、各種メディアではクリスマスソング特集が組まれるなどして国民に対して否が応でもクリスマスを意識させますが、そのような圧力には屈せず、屈しないというよりかは受け流すというスタンスをとっています。

 そうなると、クリスマスらしいことは何もしないということになりますが、実家住まいの私は、そのムードに浮かれ切った家族に付き合う形で、チキンやケーキを食べ、スピーカから流れるクリスマスソングを聞くなどをすることになります。もし一人暮らしをしていたなら、本当に何もせず過ごすのだと思います。

 というか、日本に限った話じゃないかもしれないですけど、日本発祥ではない日本で行われる季節のイベントって、本当に皆望んでいるものなんですか?クリスマスもキリスト教由来のイベントを日本に取り込んでクリスマス商戦なんかをしているわけですが、誰も何も言わなくなったらクリスマス(というイベント)は消滅して12月は徐々に年が更けていくのことになるんですかね。

 ハロウィンもそうで、というよりかは少し前まではそうだったんですけど、もしイベントがなくなったらただの月末ですよね。ハロウィンがあるから仮装したりトラックを押し倒したりするわけで。

 バレンタイン、ホワイトデーもそうですよね。自分の恋心、気持ちを伝えたいが勇気が出なくてきっかけがほしい、って人にはもってこいですが、形骸化しているところも多く見られます。

 

 イベントだけではなく、そもそも望んだものとは大きくかけ離れているものって結構多いように思います。運動会を例として挙げると、wikipediaというソースが弱いものによると、「日本における運動会の発足は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として」いるようです。健康を増進させるならば運動させるべきで、それなら行事として催して強制参加させれば強制的に運動して強制的に健康になるだろう、というような感じで始まったぽいです。

 今の運動会への参加の態度を見ると、体感ベースですが、徒競走で一番になりたいとか、応援を楽しみたいとか、公衆の面前で恥をかくのは勘弁だからどの種目にも出たくないとか、うちの子どもが熱中症になったり日焼けしたりすると困るから外に何時間も放置させたくないとか、運動会は朝早くから始まるからお弁当を作るのが大変だとか、そんな感じです。各々が注目するポイントは変わり、もともとあった健康増進という目的に対して焦点があまり当たらなくなているように思えます。

 そして、その参加への態度というのは、当たり前かもしれませんが、運動会あっての態度であり、運動会がなければこのような考え方というのは生まれません。つまり、運動会が先にあってそこにどうアプローチするかというものになっていて、運動不足解消のような健康増進を目的としてどう行動するかはあまり考えられていないように思います。

 ここで長くなった話が戻ってきて、健康増進したいから運動会をやろうという人はあまりいないということです。そして、仮装がしたいからハロウィンをやってくれって人も、告白がしたいからバレンタインよ来てくれって人も、プレゼントを贈ったり恋人といちゃつきたいからクリスマスを開催してくれって人もいないと私は思うわけです。なぜなら、仮装がしたい人は勝手に仮装するし、告白したい人は勝手に告白するし、恋人たちは何を言わなくても勝手にいちゃつくしプレゼントを贈るからです。月並みな言い方をすれば、私たちは商業戦略として勝手に作り出されたムードに半ば強制的に乗っかりそのイベントをこなしてるわけです。たとえ商業戦略がなくても、我々はイベントを待ち望み、そして誰かが勝手にイベントを開催するようになるのでしょうか。

 

こういったどうでもいいことを話そうとすると離れていくわけですが、こういうこと話したい人っていないいんですかね?クリスマスからも結局かけ離れました。

勢いに身を任せる

本当にその話ばかりして申し訳なく思っているのだが、ワールドカップ面白すぎます。本当に。別にサッカー大好きそれしか書かないブログでも、各国の戦術について鋭い分析をして批判するブログでもなく、ただ日常どのようなことを考えているかや起こった出来事をつらつらと述べるはずではあったのだが、あまりにも面白すぎてそれについてばかり書いてしまっている。もしくは普段の自分の生活に大きな出来事が起こらないのが原因なのかもしれない。私は学生なのだから、その日大学で学んだことをいっぱい書いちゃえばいいのだが、実はそれがあまり面白くないのでこういうことばっかり書いているのかもしれない。ここまで300字弱書いてみて、自分の文末がはっきりしていないことにはちょっとイラついている。最初ですます調で始まったのにいつの間にかである調に変わっていっている。ここまで来たら構成とかリズム感とか読みやすさとかを全く意識せずにだらだら書いていってしまってもいいかもしれない。本当はこんなに長ったらしく書いちゃだめだろう。

 

適切に段落分けをしたり、文字を太くしたり、色を変えてみたりといろいろ読みやすさを作る方法はあるのかもしれないが、まだまだ初心者なのでどのタイミングで変えたらいいかもわかっていないです。

 

 

 

 

 

 

 

またですます調になってる!!!!!!!!

思ったことをアウトプットしづらい

 この記事でブログの更新は7つ目ということになります。自分の予想では四記事くらいでやめるだろうと思っていました(三日坊主よりは一日長くて三日坊主ではないという証明になるから)。七つということは一日一記事読めば一週間たつというとても霧が良い数字です。これからもどんどん記事を書いていってタイピングがうまくなればいいなって思ってます。一か月分くらいの記事をとりあえずの目標に頑張っていきたい所存です。

 このようにだらだらとブログを書いていて気付いたのは、タイピングって難しいなってことです。私が良く打ち間違うキーはTとR、YとT、MとNとBなどです。至極どうでもいいことを書いてしまいましたが、これには理由がありまして、簡単に推測できると思いますが、この辺はキーが近いからです。打ち間違えるというか、Rを打つぞって思っているのに指が言うことを聞かず一つ置くのTへと言ってしまうのです。意識すればするほど行ってしまいます。どうにか治したいとは思っていてもなぜか遠くに行ってしまうのです。じゃあキーボード見ればいいじゃんと思うかもしれませんが、それじゃ練習にならないのでそれは却下したいと思います。早くいいっぱい打てるようになりたいです。

 

新しい形

 あくまで私の体感ですが、若年層のSNS使用割合というのはTwitterInstagramが大体同じくらいで、ついでFacebookぐらいのものだと思っています。TwitterInstagramが人気になったのは情報の即時性、つまり、今現在何をしているかやどう思っているかが今すぐわかるというところにあると私は考えています。あとはまあ見栄の面というのもありますし、特にInstagramではストーリーという機能があり(Facebookにもあるけど今回は省略)、投稿してから24時間たてば消えてしまうといういわば「期限付きのSNS」が後腐れのなさと即時性からその人気を加速させているように思えます。

 ここまでは前書きです。私は大学生なのでそれなりに飲み会などにも参加するのですが、そこでこのような話を聞きました。つまり、ここで山田が高橋を好きであるとして、山田が同性の島崎と遊びに行ったのち、山田と島崎の両方がInstagramにその日遊んだということを楽しそうな写真と共に投稿したとします。山田と島崎どちらもフォローしている高橋が島崎の投稿のみにいいね!をしたとします。それを見た山田が、島崎に嫉妬して高橋になんで私の投稿にはいいね!をしないんだと嫉妬っぽく連絡したり、一緒に遊びに行った島崎の投稿にはいいね!をしなかったりします。

 過去には松浦亜弥YUIはメールでの恋の駆け引きを歌にしました。西野カナはほかの女を好きになった男にその男と自分の思い出を重ねてわけわからんくらい嫉妬したりもしました。しかし現在の若者というのは、メールだけでなく、SNSでも恋の駆け引きをしなければならなくなり、その上電子データ上でめちゃくちゃに嫉妬されたりするようになったのです。上記の話だと駆け引きなんてないのではと思われるかもしれないのですが、そこには島崎がうまく自分だけ写真写りが良いものを投稿したりとか、またその逆もあったりするわけです。そしてその駆け引きや関係性につかれて高橋はSNSをやめてしまったりするわけです。

 これがインターネットと現実をぐちゃぐちゃにかき混ぜて形成された地獄の「新しい形」です。

ブログを更新しました

 完全にブログの更新が滞っていた。以前の記事で三日坊主であることを書いたが、今回ストップしていた理由は飽きてしまったからとかではない。現在行われているFIFAワールドカップを連日夜更かししてみていたところ、完全に体調を崩してしまい、数日間寝込んでしまったのだ。もう少し詳細に書くと、夜更かししながらも課題の作成でパソコンに向き合っているとだんだんと具合が悪くなってしまい体調を崩してしまったのだ。そのため少し復調しても画面を見ると具合が悪くなってしまうため更新などできなかったのである。

 それにしても体調を崩させてしまうほど面白いワールドカップにも少しは罪があると思う。今回は特に面白い。どこが優勝するか全く読めない。強豪と呼ばれるチームがグループリーグでさえ抜けるのに苦労している。FIFAランキング会のチームが上位のチームを破ることもしばしば起こっている。波乱に満ちた今大会である。そりゃ風邪をひくわけである。